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片岡仁左衛門 (11代目) : ミニ英和和英辞書
片岡仁左衛門 (11代目)[じゅういちだいめ かたおか にざえもん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [にん, じん]
 (n) kernel
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

片岡仁左衛門 (11代目) : ウィキペディア日本語版
片岡仁左衛門 (11代目)[じゅういちだいめ かたおか にざえもん]

十一代目 片岡 仁左衛門(じゅういちだいめ かたおか にざえもん、安政4年12月4日1858年1月18日) - 昭和9年(1934年10月16日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した歌舞伎役者。主に立役屋号松嶋屋。定紋は七ツ割丸に二引。俳名に我當、萬麿。本名は片岡 秀太郎(かたおか ひでたろう)
実子に十三代目片岡仁左衛門
==来歴・人物==
安政5年(1858年)、八代目片岡仁左衛門の四男として江戸猿若町に生まれる。文久元年(1861)、本名の片岡秀太郎で初舞台。翌年父と兄・三代目片岡我童とともに大坂へ移るが、翌文久3年(1863年)父が死去。後ろ盾を失いながらも子供芝居で修業を続ける。
明治5年(1872年)ごろから大阪竹田の芝居などに出演、その才能が認められはじめる。2年後には兄とともに東京へ戻り、明治9年(1876年)3月、中村座で三代目片岡我當襲名。その後東京と大阪を往復しながら活躍する。
明治28年(1895年)に兄が急死すると、松嶋屋の屋台骨を背負う重責を負うようになる。明治38年(1905)5月、大阪角座坪内逍遥作『沓手鳥孤城落月』を初演。以後新歌舞伎に力を入れ、『桜時雨』『名工柿右衛門』などを初演した。
そして明治40年(1907年)、大阪角座で十一代目片岡仁左衛門を襲名した。
その後は東京に腰を据えて、歌舞伎座の座頭となり、五代目中村歌右衛門十五代目市村羽左衛門とともに「三衛門」と謳われ、「團菊左」亡き後の東京歌舞伎を支えた。
十一代目の上京は、当時「五代目中村歌右衛門」の名跡を巡って大阪の初代中村鴈治郎と東京の五代目中村芝翫との間に争いが起こり、仁左衛門は芝翫を支持したために、関西では飛ぶ鳥を落とすほどの人気を誇った鴈治郎の支持者に囲まれて日々が日増しに居辛くなったからだといわれている。
大正元年(1912年)には長男の片岡千代之助のためにもなるからと、私財を投じて片岡少年俳優養成所を設立。後継者を育成し、若手俳優への芸の伝承にも尽くした。 
また従前人形浄瑠璃においてのみの演目だった『大文字屋』や『鰻谷』を歌舞伎化するなど、新しい芝居を作る独創性に長けていた。初代中村鴈治郎とは一時不仲を噂されるほどの対立関係にあったが、それだけに芸のしのぎを削り合う相手として張り合い、互いに研鑚しあっていた。十三代目の著書には、晩年は舞台を共にし、公私にわたって仲が良かったと書いている。
昭和9年(1934年)、大阪で甥の子にあたる五代目片岡芦燕の襲名披露興行に出ている最中に倒れ、そのまま死去。76歳だった。墓所は池上本門寺(東京都)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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